認知症について考える
Musubiの岡田です。
今日は少し僕が思う、認知症について書き留めておきます。
認知症介護について、「僕たち福祉職はどこか傲慢だ」ということ。
結論から言うと、「認知症」やその周辺症状である「徘徊」なども、困りごとに仕立て上げているのは専門職の方々です。
認知症という病名は実は存在しません。
認知症とは、脳の器質的変化によって生じる認知機能面の低下を訳した、言うならば症状を差す言葉です。
しかし、この言葉を訳して「認知」と専門職間で話されたりしています。
「〇〇さんは、認知だから介護が必要」や「認知が進んだ」は、本来日本語の意味が通じません。
では、何故専門職と言われる人達がこの言葉を多用するのか…。
僕は、この言葉を使う関係者と話すと、凄く違和感を感じます。
例えば、コロナウィルスに感染してしまった方を見て「あの人コロナ」なんて呼びませんよね?
話がちょっと逸れてしまいました。
同じ様に、「徘徊」という症状の言葉も当たり前の様に多用します。
認知症の症状がある方に、「認知」「徘徊」という言葉でラベリングすることは、間違いです。
何を言いたいかというと「徘徊」という症状も本人には意味がある行動なんです。
ただ、出かけて戻れなくなってしまったり、探し物がいつまでも見つからなかったり、帰ろうと思っている場所がなかったり行き着かなかったり…。
昨日ずっとそんなことを考えていて、徘徊も本人にとっては当たり前の行動で、それを困った事象として問題視しているのは、寄り添うはずの専門職なんだと。
※介護をされているご家族は、当事者ですから困りごとになります。
では、僕ら専門職(と呼ばれる職種)が出来ることは何か?
至極単純で、安心して「外出」出来る様に支援することです。
あの時、保護された〇〇さんは、探し物を見つけることが出来ただろうか…?探していた場所に行けただろうか…?
僕らは何が手伝えただろうか?
そんなことに夜な夜な想いを馳せて、少し切なくなった1日でした。
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